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『ドラクエ開発の推移』ドラクエ評論(137) ・・・■ドラクエマニア!?は超必見!!!! ドラクエの肝について語るゾ!! #エニックス

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『ドラクエ開発の推移』
アリーナBBB


■下記サイト(ウィキペディア)より↓。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88




●開発の推移・・・・・・
エニックスのプロデューサー・千田幸信は、1985年に『ドアドア』でファミコン参入後、パソコンで発売されていた堀井雄二のアドベンチャーゲーム作品『ポートピア連続殺人事件』のファミコンへの移植を決め、堀井と、チュンソフトのプログラマ中村光一に移植作業を依頼する。
堀井と中村は、1983年のエニックスの第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストの授賞式で知り合った仲でもあり、製作中に意気投合し、パソコンで流行していたRPGについて熱く語り合う仲になっていった。
この際にファミコンでのRPGの製作が可能となる重要なアイディア「ふっかつのじゅもん」の構想が生まれ、RPG製作の前準備としてファミコンユーザーにコマンド入力に慣れてもらうため、同作のPC版は文章入力方式だったが、一転しコマンド入力式に切り替えた。

この移植作業が堀井と中村にとって非常に楽しいものであったことから、二人はこの組み合わせでの仕事をもっとやりたがり、堀井は千田にファミコンでのRPGの製作を提案。
当時のファミコンはシューティングゲーム・アクションゲーム(アクションRPG)などが主流であり、当時本格的なRPGはマニアがパソコンでやるジャンルという扱いであったため、エニックス社内では反対の声もあったが、最終的に千田がゴーサインを出し、ファミコン初の本格的RPGの開発・製作が始まった。

二人がはまっていたパソコンのRPG(『ウルティマ』、『ウィザードリィ』)の強い影響下に、少数のスタッフで開発・製作が行われた。基本構造は『ウルティマ』型のフィールドと『ウィザードリィ』型の戦闘システムだが、当時はビジネス用のソフトにしか使われていなかったマルチウインドウを導入することで独自色を打ち出した。

なお、堀井はジャンプのゲーム紹介記事「ファミコン神拳」の連載と並行しながらをドラクエを製作していた。
同記事でRPGの面白さを説明しつつ、最終的に自分がRPGを出した事に関して、後に「今でいうとステマ」とも述解している。
なお、ファミコン神拳のスタッフは、同誌の読者コーナー『ジャンプ放送局』の主要スタッフ(なおかつ堀井とは友人)が兼任しており、初作のロゴデザインは『ジャンプ放送局』の榎本一夫が手がけた。
また、土居孝幸も漫画やイラストなどを描いている。

堀井が仕事仲間でもあり、『週刊少年ジャンプ』(集英社)で『DRAGON BALL』を担当していた編集者鳥嶋和彦に相談を持ちかけた際、鳥嶋の騙しによりキャラクターデザインとして鳥山明を起用することが決まった。
鳥嶋は鳥山明が「『ポートピア連続殺人事件』に興味を持っており、ゲームの仕事をやりたがっている」という嘘をついた。
鳥山と堀井との対談によれば「ゲームの仕事をやりたがっている」という発言は騙しであり、自身はゲームに関してはてんで無知だったと鳥山は語っている。
鳥嶋の騙しの意図は明らかではない(堀井らは「刺激を与えたかったのではないか」等と推測している)が、事実上この決定により「ドラゴンクエスト」は『週刊少年ジャンプ』系という印象が強くなり、同誌上で開発中のドラゴンクエストの画像を初披露するなど、長年初披露は『週刊少年ジャンプ』という体制がとられることになった。
ちなみにこの体制は、エニックスが1991年に『月刊少年ガンガン』を創刊した以降も変わっていない。

いったん完成に近づいたものの、内部スタッフが作ったBGMが「ずっと聴いていると飽きてしまう」という事態が発生。
そこに急遽、ゲーム好きが昂じてエニックスと繋がりができていた作曲家のすぎやまこういちが参加し、「聴き減りのしない音楽」という方針のもと、1週間で楽曲を製作した。
なお、千田幸信は鳥山やすぎやまを引き入れた理由について「(アマチュアの空気で作られている現場に)プロを入れたかった」としている。

堀井雄二、中村光一、鳥山明、すぎやまこういちらの手によって『ドラゴンクエスト』は完成し、1986年5月に発売された。
当初は売り上げが芳しくなかったが、完成直後から『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』の製作にとりかかっている。
なお、1は口コミによりじわじわと売れ始め、最終的に150万本を売り上げるヒット作品となった。

ファミコン時代は容量との戦いでもあり、徹底的な容量削減のため、数多くの企画・演出が泣く泣くカットされることになった。
また、作数を重ねるたびにスタッフが激増するなど、製作環境が大幅に変わり、それらに伴い、プログラマ間での諍いが絶えなくなってしまったことから、中村光一はプログラマの仲裁や管理をするディレクター作業がメインになり、スーパーファミコンで発売された『V』を最後に「割に合わなくなった」としてチュンソフトごと開発から手を引くことになった。

『V』『VI』『VII』はチュンソフトの退社組による山名学率いるハートビートが担当。『VIII』『IX』は『ダーククロニクル』に惚れ込んだ堀井の依頼によりレベルファイブが担当。
『X』では初めて自社での開発となっている。これはネットワーク対応ということでインフラ構築などの運営の都合上から内製のほうが好ましいと判断されたためである。なお、オルカなど外部の開発会社の協力は得ている。

ファミコン・スーパーファミコン時代に容量問題で内容削減が図られていたのが、PlayStation時代になると容量を気にしないで作れる環境になり、開発期間が長期間化するようになっている。











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ドラクエが無いと死んでしまうほど、ドラクエが大好きな評論家。みんなも 学校での空き時間、会社員の電車の中での気分リフレッシュ・ドラクエの世界浸りの為に当 情報所(ブログ)を大活用してくださいネ~~
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